我々はどうすれば幸せになるのだろう?

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今日は哲学の本を読んだ。
タイトルは「自己啓発をやめて哲学をはじめよう」。

中身はタイトルの通り。
まず、現代社会では当たり前のように信奉されている自己啓発的考えは間違いだと主張している。
例えば「願望は紙に書けば現実になる」というのはウソ。
「毎朝目標を大声で宣言すると達成できる」というのもただのオカルト。
こういった考えの中には感情に訴えるものや統率に都合の良いものもあるが、結局は現実から乖離しているという。

一方、現代社会には哲学が必要だとも主張している。
「哲学とは何か?」というのは今も哲学の分野で議論が絶えないテーマであるが……
この本では「疑いようもないことを土台に現実を組み上げること」だとしている。
そして、その「疑いようもないこと」の一つが「我思う、ゆえに我あり」というデカルトの言葉。
これはざっくり言えば「今、この場で、自分という考え、感じる主体がいるということは間違いない」ということだ。

そして、この本は哲学を用いて「我々はどうすれば幸せになれるのか」ということについても説明している。
哲学である分難しい話になるので詳しい話は全てすっ飛ばすことにするが、間違いないらしいことはいくつかある。

例えば社会では当然のように信じられている「幸福になるためには努力をしなければならない」ということは間違い。
なぜなら「ある方向に努力しようと思うこと」や「実際に努力が実効的なものになるか」は環境や運の影響を受けるからだ。

また「いつかは絶対的に正しい幸福のためのルールが見つかるはずだ」というのも間違い。
これはAIの登場によって覆される可能性もなくはないが、今のところはそういうものは見つかっていない。
これをニーチェは「神は死んだ」という言葉で表現している。

では、結局何をすれば幸せになれるのか?
それは、哲学をすることだという。
哲学をすることは、結局は自分という個体を超えて世界を観測し、また理解すること。

個人的には、ここに成功や富、人間関係というものが関わってこないのが衝撃的だった。
まあもちろん、人間も生きている以上最低限のパンや水くらいは必要だろう。
だが結局幸福とはたくさんのお金や友、生涯のパートナーや権力などではないということだ。
「ありのままの世界を知ること」、それこそが本質的な幸福だと説いている。
なんだかお坊さんが言ってそうな話だ。

とはいっても、自分としては正直なところたくさん知ってたくさん成功したいという思いはある。
これはまだまだ未熟なんだろうか?
そりゃ、貧しい食事よりちゃんとした食事の方がいいし、友達は多い方がいい。
権力だってあった方が嫌な思いをしないで済む可能性が高い。
しかし、哲学はそれを得られるかどうかは偶然が支配するところが大きいと明らかにしている。
そしてこれから先縮小が激しくなるであろう日本社会において、それを得られる確率は低くなるだろうとも。

そういえば、ある政治家が「貧しくなる自由」みたいなことを言っていたっけ。
別に自分だけが大成功して、周りが貧民であればいいみたいには思わない。
しかし、国民が普通に暮らしていけるだけの富をうまいこと行き渡らせるような方策がないものだろうか?
そして、それは哲学から見えてこないだろうか?
とりあえず、今分かるのはもっともっと「知る」必要があるということだ。